コラム

Column

今月の一冊㉒「昭和16年夏の敗戦」

前回のコラムでも少し触れましたが、私は10代の頃から太平洋戦争や第二次世界大戦に強い関心を持ち、それらに関する書籍を数多く読んできました。振り返ってみると、気づかないうちに20冊を超えていた、というのが正直なところです。ただし、最初に強調しておきたいのは、私が戦争に興味を持っているのは、決して戦争そのものが好きだからではない、という点です。むしろ逆で、戦争について知れば知るほど、人間の弱さや怖さ、そして取り返しのつかない判断の重さを突きつけられる思いがします。それでも読み続けてしまうのは、戦争というものが「人間が集団で判断を誤った記録」だと感じているからです。

個人として見れば、当時の人たちは決して愚かではありませんでした。真面目で、勤勉で、責任感も強く、自分なりに最善を尽くそうとしていた人たちです。それにもかかわらず、結果として国は破滅的な方向へ進んでしまいました。そこには、誰か一人の大きな失敗があったというよりも、「集団としての判断の仕方」そのものに問題があったのではないか。私はそう考えています。国という巨大な組織が、時間に追われ、状況に押され、次第に選択肢を失っていく。そして、誰もが心のどこかで「このままではまずい」と感じながらも、誰も止められなくなっていく。その過程は、規模こそ違えど、私たちが会社や組織の現場で日々目にしている光景と、驚くほどよく似ています。だから私は、戦争の本を「過去の出来事」としてではなく、「いまの仕事や組織を考えるための材料」として読み続けてきました。

 

今、あらためて『昭和16年夏の敗戦』を読む意味

今回紹介する『昭和16年夏の敗戦』は、1983年に出版された書籍です。決して新しい本ではありません。しかし、40年以上経った今でも、多くの人に読み続けられているのには、はっきりとした理由があると感じています。それは、この本が描いているのが、特定の戦闘や英雄的な物語ではなく、「判断の失敗がどのようにして起きたのか」という、非常に普遍的なテーマだからです。

2025年は、戦後80年という節目の年にあたります。石破茂元首相による戦後80年所感が話題になったこともあり、太平洋戦争をあらためて見直す動きが、少しずつ広がっているように感じます。YouTubeなどのインターネット番組でも、『昭和16年夏の敗戦』が頻繁に取り上げられ、猪瀬直樹氏本人も数多くの番組に出演し、本書で描いた問題意識を現代の言葉で語っています。そうした発信を見聞きしながら、この本が問いかけているのは、決して戦前の日本だけの問題ではない。今の私たちの組織や会社経営にも、そのまま当てはまる問いなのではないか、と思います。

 

「負ける」と分かっていた戦争

簡単に本書の要約をまとめると以下のような内容になります。

昭和16年、つまり1941年の夏、日本はアメリカと戦争をするかどうか、まさに瀬戸際に立たされていました。外交交渉は難航し、資源は不足し、時間だけが刻一刻と過ぎていく。そうした中で、日本政府は一つの組織を立ち上げます。それが「総力戦研究所」です。この研究所には、役所や軍などから選ばれた若い優秀な人材が集められました。年齢は30代前後。いわば、その時代のエリートたちです。彼らに与えられた役割は、模擬内閣を組閣し、精神論や希望的な観測ではなく、事実と数字をもとに、「もし日本がアメリカと戦争をしたら、どうなるのか」を冷静に考えることでした。

彼らが行ったのは、徹底したシミュレーション作業です。資源はどれだけあるのか。工場はどの程度稼働できるのか。船や飛行機はどれほど保有しているのか。そして、相手であるアメリカの国力はどれほどなのか。それらを一つひとつ積み上げながら、戦争が始まった場合の流れを、机の上で追っていきました。

その結果、彼らの模擬内閣がたどり着いた結論は、非常に厳しいものでした。戦争の初期段階では、日本はある程度うまく戦えるかもしれない。しかし戦いが長くなればなるほど、国の力の差ははっきりと表れ、最終的には日本が不利になる。つまり、この戦争は、続ければ続けるほど勝ち目がなくなっていく、という結論でした。

ここで重要なのは、この予測が戦後になって振り返って作られたものではない、という点です。戦争が始まる前、まだ引き返すことができた段階で、すでにこの分析は出ていました。そして、彼らの模擬内閣が出した結論を当時の政府にも提出しました。それにもかかわらず、この結論は、日本政府は最終的な判断に使いませんでした。誰かが明確に「やめよう」と言うこともなく、大きな方向転換もされないまま、日本は戦争に突き進んでいきます。

本書は、この「分かっていたのに止まれなかった」過程を、驚くほど淡々と描いています。感情を煽ることも、誰かを激しく非難することもありません。その淡々さが、かえって読者の胸に重くのしかかります。

 

空気に流される組織の怖さ

『昭和16年夏の敗戦』を読むと、当時の人たちが決して無能だったわけではない、ということがわかります。むしろ、総力戦研究所に集められた人たちは、非常に優秀でした。彼らの分析は冷静で、現実的で、後から見ても妥当なものでした。それでも、日本は開戦しました。それはなぜだったのでしょうか。

本書が示しているのは、「誰か一人の大きな間違い」ではありません。問題の中心にあったのは、「組織の空気」でした。一度決まりかけた流れに逆らうことの難しさ。ここまで準備してきたのに、今さら引き返せないという心理。反対すれば、自分が悪者になるかもしれないという不安。そうした感情が、静かに、しかし確実に積み重なっていきます。

その結果、誰もが心のどこかで「このままではまずい」と感じながらも、誰も止めることができなくなる。これは戦争という極端な例だけではありません。現代の会社や組織でも、同じようなことは日常的に起きています。

 

現代の企業組織にどう活かすか

ここからは、この本を現代の企業組織にどう活かすかについて、私なりに考えてみたいと思います。

まず考えたいのは、我々は本当に「数字」を見ているのか、という点です。会社には必ず、売上や利益、人手の状況といった、現実を示す数字があります。数字は嘘をつきません。しかし、都合の悪い数字ほど、人は見たくなくなります。『昭和16年夏の敗戦』が教えてくれるのは、数字を無視したとき、問題は消えるどころか、気づかないうちに大きくなっていく、という事実です。戦争でも、会社経営でも、見たくない現実から目をそらした瞬間に、選択肢は静かに狭まっていきます。

次に考えたいのは、「言いにくいことを言える空気があるか」という点です。組織の中に、空気を壊すのが怖くて黙ってしまう雰囲気があると、問題は表に出てきません。総力戦研究所の分析が政策に反映されなかった背景には、反対意見を真正面から受け止める仕組みがなかったことがあります。会社でも同じです。会議で反対意見がまったく出ないとき、その会議は本当に健全なのか。一見するとスムーズに進んでいるようで、実は大きなリスクを抱えている可能性があります。

さらに重要なのは、「誰が決めるのか」がはっきりしているか、という点です。判断の責任が曖昧なままだと、決断は先送りされます。そして先送りされている間に、状況は変わり、選択肢はどんどん減っていきます。戦争も、会社の経営も、最後は「決める勇気」が問われます。

 

歴史から学ぶということ

『昭和16年夏の敗戦』を読み終えたとき、私の頭に浮かんだのは、「もし当時の日本政府に、分析結果を真正面から受け止める仕組みがあったら、どうなっていただろうか」というものでした。もし「やめる」という選択肢を選べる空気があったら、歴史は違うものになっていたのではないか。そう思わずにはいられません。「歴史にifはない」と言われるように、答えは分かりません。しかし少なくとも言えるのは、失敗は「誰かがバカだったから」起きたのではない、ということです。判断の仕方、決め方、責任の置き方。その構造そのものが、人を誤った方向に導いたのではないかと、私は思います。

会社経営も同じです。どれだけ優秀な人が集まっていても、仕組みが間違っていれば、失敗は起きます。だからこそ、私たちは歴史を読み、同じ落とし穴を避ける努力をしなければなりません。

 

まとめ

『昭和16年夏の敗戦』は、戦争の本でありながら、組織の判断を考える本です。さらに要点をまとめると、

・都合の悪い数字から逃げないことが、判断を誤らない第一歩になる
・反対意見を受け止める仕組みが、組織を守る
・責任と期限をはっきりさせることで、決断ができる

の3点になるのではと思います。

歴史は、暗い話で終わるものではありません。むしろ、同じ失敗を繰り返さないための「地図」になります。会社は戦争をしているわけではありませんが、判断を間違えれば、人もお金も時間も失います。だからこそ、歴史から学ぶ意味があります。「負けると分かっていたのに止まれなかった」という事実を、私たちの仕事にどう活かすのか。それこそが、『昭和16年夏の敗戦』を読む一番の価値ではないでしょうか。
次回も戦争から学ぶコラムを書いていこうと思います。