これまで誰にも話すことがなかったのですが、実は私(溝口)は学生時代から「太平洋戦争」「第二次世界大戦」に強い関心を持ち続けてきました。当初は、局地戦の詳細から戦争の悲惨さなどへの興味だったのですが、戦争に関する様々な書籍を読んでいくにつれ、戦闘の勝敗そのものよりも、その決断プロセス、組織がどのように判断し、どのように間違え、そしてどのように修正できなかったのかという、この構造に強い興味を抱いてきました。これまでに関連書籍を20冊ほど読み込み、戦略論や組織論としての歴史的データに触れてきました。今回は、その中でも特に有名な一冊を紹介します。
『失敗の本質: 日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 著)は、経営者からも人気の高い一冊です。単なる戦史の分析ではなく、失敗のパターンを組織的に捉える視点が、現代の企業や組織運営のヒントになると考える人が多いからではないでしょうか。
本書の概要を整理しつつ、日本軍の失敗がどのように現代企業の組織問題とシンクロするのか、ビジネス組織が今すぐ取り入れるべきポイントは何かを提案していきたいと思います。
『失敗の本質』とは何か──構造的な敗北を読み解く
『失敗の本質』は、単なる太平洋戦争の戦術評価書ではありません。著者たちは、戦局の変遷を通じて日本軍の失敗要因を組織論の視点から体系化しています。分析対象となるのは代表的な6つの戦闘・作戦であり、そこに共通する失敗パターンを抽出しています。
単純な装備不足や戦術の誤りではなく、「組織がどのように判断し、どのような判断ミスをするのか」という普遍的な構造に踏み込む試みです。日本軍が勝敗の結果だけで語られがちな一方で、本書はその背後にある「仕組みとしての失敗」まで辿っている点に大きな意義があります。
《主な分析事例》
ミッドウェー海戦
限定的な成功体験に依存し、未知のリスクに柔軟に対応できませんでした。
ガダルカナル作戦
現場の実態を無視し、精神論に寄りすぎた意思決定が行われました。
インパール作戦
上意下達と現場無視が重なり、勝算の乏しい作戦が強行されました。
レイテ沖海戦
統合的な戦略が欠如し、作戦目的が曖昧なまま重要な局面を迎えました。
マリアナ沖海戦
戦い方の前提が変わっているにもかかわらず、過去の成功体験に固執しました。
沖縄戦
戦略的な柔軟性を欠き、環境変化に応じた判断の修正が十分に行えませんでした。
これらの事例から見えてくるのは、「組織としての学習が欠如していたこと」です。そしてそれは、歴史的な敗因分析にとどまらず、現代企業が「組織という仕組み」を考えるうえでの普遍的なパターンを示しているといえます。
日本軍の組織的失敗が現代企業の組織に与える洞察
戦場とビジネスの現場は当然異なります。しかし、組織が意思決定を行うプロセス、情報の流れ、失敗の扱い方といった視点から見れば、そこには驚くほどの共通点があります。戦争とビジネスの違いは「目的の性質」と「リソースの性質」にありますが、組織内部の機能不全の構造という点では、歴史の中の日本軍と、現代の企業組織はよく似た姿を見せます。
(1)目的の曖昧さは最大の敵である
日本軍はしばしば、「何を達成したいのか」という究極目的が曖昧なまま作戦を進めていました。方針はあるものの、「なぜそれを行うのか」の本質が明確ではないため、現場は判断基準を失い、戦術だけが先行してしまったのです。
現代企業でも同様のことが起こります。
「DXを推進しよう」「新製品を出そう」「市場シェアを拡大しよう」どれも一見すると目的のように聞こえますが、実際には手段や手段の方向性に過ぎません。
目的を曖昧にしたまま計画を進めてしまうと、成果を評価できず、リソースの無駄遣いになります。
経営や事業の出発点としてまず必要なのは、
「何を達成し、どのような価値を顧客や地域に提供するのか」を明確に定義すること
だと、私は実務の中で強く感じています。
前回コラムにした「Why型思考トレーニング」に書いた”なぜそれをやるのか(Why)”に通じるところでもあります。
(2)情報の流れを遮断すると、真実は必ず歪む
ガダルカナルやインパール作戦では、現場の実情が上層部に正確に伝わりませんでした。「本当の状況」を伝えることが歓迎されない空気の中で、都合の悪い情報は上がらず、上層部は「見たい現実」だけを見て意思決定を続けてしまいました。
現代企業でも、「数字が悪い」「現場で問題が起きている」という情報が、評価に不利になると感じられると、現場は“きれいな数字”だけを見せたくなります。
この状態は、組織にとってかなり危険です。
みなさんも日常業務の中で、担当者が本当の課題を口にしにくい空気を感じることはありませんか?
しかし本来、現場の声は単なる生の情報ではなく、改善の起点であり、将来の変化を示すシグナルなのです。
現場の声をきちんと経営に届けるルートをつくれるかどうか。
これは、組織の健全性を測る一つのリトマス試験紙だと感じています。
(3)属人化は短期的成功の“罠”である
日本軍は暗黙知に頼る体質が強く、知識やノウハウの形式知化が進みませんでした。戦術・戦略は個々の司令官の勘や経験に依存し、その人が変わると組織力が大きく揺らいでしまったのです。
現代企業でも、ベテランだけが対応できる仕事や、担当者の頭の中にだけある顧客情報など、「人にくっついてしまっているノウハウ」が多く残っているケースが少なくありません。
再現性のないスキルや判断基準は、資産であると同時にリスクでもあります。
短期的には「この人がいるから大丈夫」と見えるかもしれませんが、中長期的には組織全体の成長を阻害する要因になってしまいます。
恥ずかしながら弊社も属人化に頼っている部分がまだまだ多く、属人化をなくす改善をしているところなので、自社のことを棚に上げて書いています。
5つの実務的原則 -『失敗の本質』が示す組織の戦い方-
日本軍の失敗からは、単なる反面教師としての示唆だけでなく、現代の組織が「どう戦うべきか」という原理原則も読み取ることができます。ここでは、日々の企業支援の中で私が特に重要だと感じているポイントを、5つの原則として整理します。
【原則①:目的を定義し、組織全体で共有する】
経営やプロジェクトを始める際には、まず「何のために何をするのか」を定める必要があります。
目的より手段が先に立ってしまうと、その後の戦略や施策は必ず迷走します。
・目的(何を達成するのか)
・戦略(どういう筋道でそれを達成するのか)
・KPI(その進捗をどう測るのか)
・実行計画(具体的に誰が何をするのか)
この階層が紐づき、組織全体で共有されて初めて、行動が評価可能になります。
『失敗の本質』が示した日本軍の問題点は、逆にいえば、この階層がきちんと揃っていれば多くの失敗は防げたのではないかという示唆でもあると感じています。
【原則②:情報を“共有資産”として扱う】
現場の情報が経営判断につながっていない組織は、変化への対応が遅れます。売上の動き、顧客の声、クレームや不満、社内のちょっとした違和感など、本来なら戦略修正のヒントとなる要素が十分に活かされていません。現場の情報を「個人のメモ」や「内輪話」に留めず、組織全体で使えるデータや知見として共有するしくみが必要です。
・定期的なミーティングでの共有
・簡単なレポートや日報の仕組み
・商談録音の活用と振り返り
こうした仕掛けは一見地味ですが、組織の「視野」を広げるうえで非常に効果的です。
【原則③:暗黙知を形式知に変換する文化をつくる】
「この人に聞けばわかる」「あの担当者の勘が頼り」という状態は、一見すると頼もしく感じますが、組織にとってはリスクでもあります。知識が人から人へ自然に伝わるのを待つのではなく、意図的に形式知化することが重要です。
・手順書・マニュアルの作成
・フローチャートやチェックリストの整備
・ベテラン社員によるナレッジ共有
こうした取り組みを通じて、個人のノウハウを組織の資産に変えることができます。日本軍が「暗黙知に頼りすぎた組織」だったことを踏まえると、現代の企業はその逆を行く必要があります。
【原則④:失敗を体系化し、改善のサイクルを回す】
『失敗の本質』が描き出した日本軍の特徴のひとつが、失敗から学ぶ仕組みの弱さです。責任追及はあるものの、なぜそうなったのかが構造的に分析されず、組織としての学習につながらない。結果として、同じパターンの失敗が繰り返されてしまいました。
現代企業においても、失敗が「個人のミス」として処理されてしまうことがあります。しかし、組織的な失敗の多くは、個人のスキル不足というよりも、情報の流れや意思決定プロセス、役割分担などの構造的な問題に起因しています。
失敗を活かすためには、
・何が起こったのか(事実)
・なぜ起こったのか(原因)
・どの前提や仕組みに問題があったのか(構造)
・次に同じことを防ぐために、何を変えるのか(対策)
を整理し、できれば簡単な形でもよいので記録に残し、共有することが重要です。
失敗を「葬る」のではなく、「資産化」する発想が求められます。
【原則⑤:環境変化に応じて、戦略を柔軟に修正する】
マリアナ沖海戦や沖縄戦では、戦い方の前提が変わっているにもかかわらず、日本軍は過去の成功体験に縛られ、戦略の修正が遅れました。現代のビジネス環境は、当時の戦場以上のスピードで変化していると言っても過言ではありません。
・顧客の購買行動の変化
・デジタル技術の進化
・人材の価値観の変化
・コスト構造や競争環境の変化
これらにあわせて戦略を見直す柔軟性が、組織には求められます。
過去の成功事例は大切な資産ですが、「かつてうまくいったやり方」が未来永劫通用するとは限りません。環境変化をどう捉え、どう行動に落とし込むか。ここに、組織の真価が問われていると感じます。
地方企業 -組織の“戦い方”を再定義するチャンス-
熊本をはじめとする地方の中小企業には、都市部の大企業にはない強みがあります。
・経営層と現場の距離が近く、情報がダイレクトに届きやすいこと
・顧客との接点が濃く、変化を肌で感じ取りやすいこと
・意思決定のスピードを本来は速めやすい組織規模であること
これらは、『失敗の本質』で描かれた日本軍の弱点だった「情報遮断」「硬直化」「学習の欠如」とは逆方向のポテンシャルです。
一方で、過去のやり方に固執したり、属人化が進んだりすると、その強みは一気に目減りしてしまいます。
戦略とは、一度決めたら固定するものではなく、環境変化や学習の成果に応じてアップデートし続けるべきものです。
地方企業こそ、歴史から学びながら、組織の“戦い方”を再定義するチャンスを持っていると感じます。
まとめ -組織は失敗から本当に学べるのか-
『失敗の本質』が教えてくれる最も重要なポイントは、失敗そのものではなく、「失敗をどう位置づけるか」という視点だと私は考えています。失敗を個人の責任として処理するのか。それとも、組織の構造を見直すきっかけとして扱うのか。両者の差は時間が経つほどに大きくなります。
歴史を振り返ると、人間の組織は同じパターンの失敗を繰り返してきました。しかし、学習する組織は、そのパターンを理解し、乗り越えることができます。目的が明確で、情報が流れ、失敗が学習に変わり、環境変化に合わせて戦略を修正できる組織だけが、次の変化を勝ち抜いていくのだと思います。太平洋戦争に関する書籍を読み続けてきた私にとって、『失敗の本質』は歴史書であると同時に、未来の組織が進化するための「教科書」でもあります。過去の失敗をただ嘆くのではなく、自社の組織をよりよくするための材料として活かしていけるかどうか。そこに、これからの経営の分かれ目があるのではないでしょうか。